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「 扉 」
安曇野の碌山美術館は、もとは小さな教会でした。
教会は床も外壁もレンガでつくられ、いくつかのステンドグラス
も残っています。この扉は教会の裏側に作られたもので、人の
出入りも少なく、ひっそりと世間を眺めているおばあさんのようでした。
善光寺の鐘楼 七年ぶりのご開帳が行われている
本堂から離れたところで、慎ましく鐘が打たれていました。
人ごみと熱い日差しを忘れさせてくれる鐘の音でした。
「鐘 楼」
Copyright 2008
なかがわちひろ
近所の砂利道に積もった雪が陽の光で解け、植え込みの形に残っていました。
儚さと陽の温もりに春を感じました。
こんな歌があります。
“春たちて 消ゆる氷の残りなく 君が心はわれに解けなむ”(詠人知らず)
なんともロマンチックな白岡の梨のように甘い歌です。
これも水槽の中での出来事です。
アマガエルは親愛の情でイモリの肩に手を置いているのでなく単に近づくのを
牽制している雰囲気でした。
イモリにしても、目の前で動くアマガエルがはたして食べ物になる対象か
探っているだけのようでした。
現実世界を切り取り、再構成するだけで別のドラマを作り出すのは写真の特性で 、
味気ない現象も感動的に捉えようとするのは夢追い人の習性かもしれません。
晩秋にカマキリがこんなところでじっとしていました。
卵を産むつもりか、或いは落ちて出られなくなっていたのか。
そんなカマキリに斟酌もせず、冬はゆっくりと訪れていました。
「 蟷 螂 」
「 氷 柱(つらら) 」
犬がソファーの上で寛いで、飼い主が硬い床の上に座っている光景など、
我が家では少しも珍しくありません。
「 午 睡 」
Copyright 2008
なかがわちひろ
部屋に120センチの水槽で作ったアクアテラリュウムがあります。
水と陸地で出来た、つまり水辺の環境を水槽の中で再現するのが
アクアテラリュウムで、魚類だけでなく両生類なども飼育します。
大きな水槽になると、そこの住人は思い思いに自分の棲家を見つけ
それなりにルールをつくり生活しています。
風が舞い、雲がなぐり描きの絵のように荒々しい形になっていました。
微妙な湿度の関係でしょうか、この日の夕空は黄金色の美しい
夕焼けを見せてくれました。
梅雨の真っ最中、昼間重く垂れ込めていた雲が消え、
その夕方に美しい夕焼けとなりました。
夕焼け
夕焼け
夕暮れの用水路。 わずかに残った空の明るみが水面に反射しているだけで、
水草はシルエットになっていました。
闇の中に沈んで行く水面に波紋が起こり、生き物の気配がしました。
用水路
夕焼けと手前の田んぼの緑を目にしてその二つの色合いを写真で表現したいと思いました。
いつも持ち歩いているコンパクトカメラにはその二つの色を収める機能などなく、写真技術も
もない私には到底できません。
そこで、空と田んぼと別々に露出を合わせて二枚の写真を撮り、画像処理をしました。
写真とすればインチキですが、目に見えた風景はこんな感じでした。
夕焼け
「寒さが特に嫌だと言って、雪の日が唯好きなのは、ものみな総てが無口になるからだ・・・」
とは、小椋佳さんの詩ですが、あの静けさはいいものです。
「 雪 帽 子 」
何色が好き?と問われれば、青と答えます。それも深い青がいい。
群青、コバルトブルー。 闇の一歩手前の色。
「 青のワインボトル 」
Copyright 2008
なかがわちひろ
庭の木に熊蜂が集まり、蜜を集めていました。
熊蜂の飛行を撮るつもりが、ろくな写真は撮れず、
さまになったのは、たまたま写っていたバラの木だけでした。
初詣の神社で待たされる我が家の犬。
戻ってこない家族を心配げに待つのが母親犬。
いつも楽観的に捉えるのがその娘犬。
体長が25cmを超えるオビタイガーはアクアテラリュウムの主です。
すごい大食漢で飼い主の指も食べようとしますが、不思議なことに
餌より小さくおいしそうなイモリの子供が目の前を這っても絶対に口を
出しません。
なにか、同属にはアタックしないルールがあるのかもしれません。
すっと伸びた小枝の先に止まったトンボは、絶妙なバランスでそれだけで絵になると思います。
その意味からこの写真では、杭が太くてバランスはあまりよろしくない。
しかし、雨に曝され、色が滲んだ工事用のロープと杭が文字通りぶっきらぼうで、そこに軽やかに
止まったトンボが印象的で撮りまくりました。
写 真